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写真家にとって被写体が表現の“媒体”だとしたら、近年の川野氏のそれは山だ。

彼女の写真はいわゆる山岳写真ではない。山岳写真と言えば、日本全国にそびえたつ
堂々たる山々を迫力ある画角で切り取る、○○岳や××山の雄姿をとらえた作品が多い。
けれども彼女の作品はそうではない。写真におさまっているのはどこの山なのか、という
事実は重要ではない。焦点は別のところにある。
山はあくまで表現の媒体であり、故に彼女の写真に登場する山々に固有名詞は必要ないのだ。

蛇腹式のページは、彼女の意識がそのままつながっていることを表しているのだろうか。
ページをめくり進めていくにつれ、山に登る人間にとってはおなじみのあれこれ、例えば
道しるべとなるピンクリボンや石を積み上げたケルン、寝袋やテント、ガスバーナーなどが
登場する。立ち枯れた樹々、岩に描かれたペンキの矢印、ぽつんとそこにある落石、こちら
をじっと見つめる鹿。彼女が見ているものを通して、ページをめくる我々も、山の世界に
すっと入り込んでいく。それらは、彼女が時には光射す森の中や霧深いカールを歩きながら、
または幕営して山に抱かれて眠りながら、自らのルーツを探し求めている意識の流れを形作る
要素たちとも言えるのかもしれない。

実は私と川野氏は山友達でもあり、近年一緒にさまざまな山に登った。この写真集「山を探す」にも私がちょこちょこ登場している。
最近はコロナの影響でなかなか一緒に山に出かけられていないが、また彼女が山を探す姿を見たいと思う。


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四十代を迎えたある日を境に、無性に山が気になりはじめた。
それからというもの、何かに取り憑かれた様に山に入った。
気づけば一年と経たないうちに数十座は登っていた。

何故、それほどまで山に惹かれるのか?

明確な理由は分からないが、
日本人に古くから根付く自然観や宗教観によって
山を求めている気がしてならなかった。

私は山を探していた。

252×210㎜|72ページ|蛇腹製本
アートディレクション 金晃平
3,850円